206日記
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3日 ◆Home |
2000年9月3日(日) ネットサーフィンしていると、いろいろなクルマのサイトに出会う。私は、206に限らず、小型車が好きなので、そっち方面のサイトをよく見る。個人オーナーのページはどこも似たり寄ったりで、購入した経緯、日記、写真、掲示板といった構成が多数を占めている(FineBlueもそうだが)。実際にサイトを作ってみると、それぐらいしかネタがないので仕方がないといえば仕方がないが、似たようなサイトが氾濫する中で、「お気に入りに追加」したくなるサイトは、文章が上手かったり、写真が上手かったり、どこか他と違うものがある。そしてコンテンツは広く浅くより、テーマを絞って深く掘り下げてあったほうが面白い。更新が頻繁だと何度も見に行きたくなる。 クルマ関係のサイトには、どの車種にも総本山的なサイトがあることに気がつく。つい先日も、フォードKAの総本山的サイトを発見した。買い換えを検討しているときに次期愛車候補に入れたクルマなので興味を持って覗いてみると、掲示板のログに「KAはなぜ売れない? プジョー206や306はあんなに売れているのに」という書き込みがあった。なんでも、KAは販売不振のため、在庫限りで販売打ち切りになるそうだ。KAは206以上にマイナーな存在になってしまうのか。発売当時は結構勢いがあったのになあ。 KAにはMT仕様しかなく、発売当初はCMなんかでMTで運転する楽しさを強調していた。それは決して間違いではないと思うが、残念ながら日本では主流ではない。日本人のほとんどは、運転そのものを楽しむよりもATでイージードライブしたいと考えているのだ(たぶん)。おまけにAT限定免許なんて制度もある。KAのあの形が気に入り、ディーラーに行って話を聞いてみたものの、MTしかないと知って購入をあきらめたケースもあるだろう。要するにKA・・・というよりフォードは消費者のニーズに応えられなかった、ということか。 一方、プジョーはラリーやCMなどでイメージを先行させ、興味を持った人には、日本で主流のAT車や、S16などのスポーティーなモデル、便利な5ドアなどなど、さまざまな選択肢を用意している。私のようにベーシックな仕様のMT車に乗りたいというニーズにも対応している・・・これはVWやオペルにもないことだ・・・なるほどプジョーが売れるわけだ。 もし、プジョー206がなかったら、私もKAを買っていたかもしれない。ディーラーも近くにあることだし多分買っていただろう。ホームページも作っていたかもしれない。タイトルは・・・そうだな、「Fine
Edge」とか。 もっとも、それが私の杞憂なのは、そのKAサイトを見れば明らかなのだが。 |
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3日 ◆Home |
2000年9月11日(月) (注釈:この日「東海豪雨」で知られる災害が東海地方を襲いました) 11日は仕事で豊橋に出張した。この日、台風が沖縄へ接近しており、その影響で名古屋でも強めの雨が降っていた。が、電車が止まるほどではなかった。少なくとも行きの時点では。 夕方、仕事を終えて豊橋駅へ行ったら、浜松方面の東海道線と飯田線を除いてJRも名鉄も不通となっていた。名古屋方面はかなりの雨らしい。しばらく待ってみたが、開通する見通しは全然立たない。かろうじて、JRが岡崎まで列車を出すという。さてどうしたものか。岡崎行きのJRに乗ろうかと思ったが、その先はどうするのだ。豊橋に泊まるか? しかし、日帰りのつもりだったので宿泊の用意はない。そもそも多くの人が足止めを喰らっている状況ではホテルを確保できるかどうか怪しいものだ。 会社の誰かの家に泊めてもらおうかな〜、と豊橋の営業所に電話をかけたら、事務の女性(Aさん)が刈谷の自宅まで帰るのに会社のバンを使うというのでそれに便乗したらどうかということとなった。Aさんと自分がいっしょにバンに乗っていき、Aさんを刈谷で降ろした後、私が名古屋まで行くというわけだ。なるほどいい考えだ、と思ったのが過ちだった。 午後8時頃、Aさんが会社の日産キャラバンに乗って駅までやってきた。ここで運転を代わって私がハンドルを握る。Aさんの家が国道23号線沿いにあるというので、23号線を使っていくことにする。豊橋市街を抜け、蒲郡から西尾に、そして西尾からバイパスに乗る。雨足は強いが、ここまでは車の量もそれほど多くなく順調に進むことができた。 安城にさしかかると、雨の勢いが激しくなり、ワイパーをハイモードで動かしてもまったく追いつかない。時折、空が白く光り、雷鳴が轟く。なるほど、これでは電車が止まるはずだ。 刈谷市内に入り、バイパスを降りてAさんの住むマンションへ向かう。しかし、Aさんの勘違いで道に迷ってしまう。実は私は小学校から高校までこの近くに住んでいて、ある程度土地勘があるのだが、昔と様子がガラリと変わっていてなにがなんだかわからない。昔は田んぼだらけだったところに、マンションや住宅や大きなスーパーが立ち並んでいる。ところが、ふと迷い込んだ道が、高校のときいつも自転車で通学していた道だと気づいて、いまどこにいるのか、一気に明らかになった。Aさんにそのことをいうと、Aさんも場所を把握できたらしく、なんとかマンションまでたどり着くことができた。 この時点で午後10時。豊橋から2時間かかった。まあ、普通のペースだ。 Aさんを送り届けた私は名古屋の自宅を目指すために、再び23号線のバイパスに戻った。豊明の栄交差点まで23号線で行き、そこから北上して日進または東郷経由で名古屋まで行く目算だ。私の家は名古屋の東部、名古屋インターの近くにあるので、都心部まで行く必要はない。ところが、豊明にたどり着くはるか手前で車の流れはストップ。のろのろ進めばいいほうで、10分待ってやっと動いたと思ったら、100メートル進んでまた止まるといった状況に陥ってしまった。私がいままで経験した中で最悪の渋滞だ!! 11時頃、Aさんから、携帯電話に電話がかかってきた。 「ねえ、もう家ついた?」 自宅からもかかってきた。帰りはかなり遅れそうだと伝える。 2000年9月12日(火)
しかし、1号線も渋滞していた。ここも同じ状況か。それでもなんとか、豊明市と刈谷市の境を越えたが、23号線への分岐点手前で、またもや車の流れはストップ。ここからは、1号線を走る車線と23号線に合流する車線とに分かれるのだが、不思議なことに23号線へ合流する車線はガラガラ。ええい、ままよと、車線変更して再び23号線に。 23号線は相変わらず渋滞していた。しかし、当初目指していた栄交差点はすぐそこだ。 栄交差点が近づいた。すかさず右折専用車線に入る。ここを右に曲がれば、豊明市街を抜けて名古屋インターまで行くことができる。ん? なんか様子が変だぞ。 げげー!!冠水しとる!!! 右折した先で、水に突っ込んだ車が何台かエンストして立ち往生している。そして警官とおぼしき人が必死の形相で、来るなと身振りを繰り返している。やむをえず、直進車線に戻り、そのまま進んだ。 さて、これからどの道を通ろうか。最初の目論見が外れてしまいルートを練り直さなければならない・・・といっても、実は名古屋南部の23号線沿いってよく知らないのよね〜(T_T)。 しばらく行くと、有松の手前で、またもや大渋滞でストップ。こりゃダメだ。きっとこの先で冠水しているに違いない。この付近の23号線は高速道路と同じで、自動車専用道路となっておりインターチェンジからしか出入りできない。三車線のうち、いちばん右の車線にいたが、車の流れを見計らって左の車線に移っていく、23号線を脱出するためだ。 伊勢湾岸自動車道への分岐を過ぎると、その先に国道302号線へ降りるインターがある。私はそこからキャラバンを渋滞から脱出させた。そこにいたるまでにもインターはあったが、明らかにその下の道も渋滞しているとわかったので、降りるのはやめておいたのだ。
途中、前を行くトラックが変な動きをした。路上駐車してある車をよけているようだが、その動きがやたらと大袈裟なのだ。その現場に近づくと理由がわかった。複数の車が数珠繋ぎになって放置されていたのだ。道のド真ん中に放置してあるものもある。どうやら冠水にやられたようだが、今現在、この道は冠水していない・・・ということは、さっきまで冠水していたのか。いつまた水を被るかわかったもんじゃない!! やがて、車の流れが鈍ってきた。くそ、また渋滞か。雨にぬれるのを覚悟の上で窓を開け、身を乗り出して前方の様子を伺うと、やはり道路が冠水していた。車高の高いクロカン四駆やトラックは難なく通り過ぎているが、その他の車が立ち往生していた。車を乗り捨てたと思われる人々が、膝まで水に浸かりながらこちらに歩いてくる。 この先はダメだ!! AM2時半、ここで私は決断した。家に帰るのは諦めよう。いたるところで冠水している状況では、朝になってもたどり着けそうにもない。しかも、雨はいっこうににやむ気配はない。豊橋へ引き返そう。ここまで来て引き返すのは癪だが、背に腹は代えられない。 私はキャラバンを道路右側にある駐車場に入れ方向転換した。23号線に戻るのだ。23号線は名古屋市内へ向かう車線は大渋滞しているが、反対側は空いている。豊橋まではそんなに時間はかからないだろう。 来た道を引き返していくと、さっきはなんともなかった道が冠水している。なんてこったい。もうこうなったら、どうにでもなれ!と、水の中に突っ込んだ。水位はタイヤの半分くらいまである。突然前を走っていた軽自動車が止まった。エンジンが水を吸い込んでエンストしたらしい。それを避けて、さらに進み、23号線に合流した。もちろんさっきとは反対方向の車線にである。
よっしゃぁぁーーーー!!! ここからは勝手知ったる道。冠水しそうな道もなんとなくわかる。市街地を抜け、進路を日進市方面へ。道はガラガラだ。冠水もない。どうやら、豊橋へ戻る必要はなさそうだ。 日進からは天白区の平針へ抜ける。地下鉄平針駅近くの交差点を曲がって、名古屋インターへ続く道に入ると、国道153号線の手前で通行止めとなっていた。またもや冠水らしい。しかし、そこで交通整理をしていた消防署員と思われる人に迂回路を教えてもらい、なんとか通り抜けた。 名古屋インター付近は東名高速の通行止め解除を待っている車でいっぱいだった。雨の勢いはまだまだ衰えてはおらず、開通するのは、ずっと後だろうに・・・・だが、そんなことは無視して、裏道を駆使して難なく突破。 そして、AM3時半、私とキャラバンは無事自宅のあるマンションにたどり着いた。 キャラバンをおりて、最初にしたことは、206の安否の確認だった。私の206は機械式の半地下駐車場にとめてあるので、大雨のときは浸水の恐れがあるのだ。206は無事だった。少なくともいまはそう見える。とりあえずそれだけ確認して家に入った。 自分の部屋に戻って、一息ついていると携帯電話のベルが鳴った。電話に出てみると、おずおずした声で最初はわからなかったが、親父だった。渋滞でイライラしているときに電話がかかってくるとさらにイライラしてしまうので電源を切っていた。そのせいで心配をかけたようだ。同じ屋根の下にいるのに携帯電話で話すというのも妙だが、もう家に着いていることを伝えると「そうか」とひとこといって電話は切れた。 2000年9月12日午前3時50分、私の豪雨との戦いは終わった。 しかし、降りつづく雨はこの瞬間も人々の生活を押し流し、雷鳴の轟きは人間をあざ笑うかのように鳴り響いている。 |